星野仙一様
僕がドラゴンズファンになった時、すでにあなたは中日ドラゴンズの監督でした。
そう、1988年。
ドラゴンズが優勝した年です。
「ドラゴンズ=星野仙一監督」
自分にとってのドラゴンズの原点です。
まだその年のころは球場には行けてませんでしたが
徐々に友達同士で球場にも行くようになりました。
そこにはいつも星野監督が居ました。
「燃える男星野」テレビではいつもそう呼ばれていて
われらがドラゴンズの誇れる星野監督!
他球団ファンにも自慢できる監督だったと思います。
1991年、前半戦でほぼ優勝が決まったかと思われていたドラゴンズ
後半にカープに追い上げられて優勝を逃したあの悔しい年に
星野さんは一旦監督を辞任しましたね。
子供心に、ホントに寂しかったです。
ドラゴンズがドラゴンズじゃなくなってしまうような気がしました
92年からは解説などのお仕事をされていたと思いますが
そのころに一度だけお会いできました。
蒲郡球場で行われていた二軍のオールスターか何か(記憶があいまいです。。。)
でサインをいただきました。
当時星野さんのサインは、なんだか筆でかいたようなものが多かったので、
筆ペンを持参して
「これで書いてください!」
とお願いしましたが、、
「こんなもので書いたことが無いからダメだ!」
と一喝されたことを覚えています。
唯一の一言ですが、お話できた事は本当に良き思いでです。
その後再びドラゴンズの監督に就任された時
本当に本当にうれしかった。
「またドラゴンズがドラゴンズに戻った!」
そう思いました。
96年のナゴヤ球場最終戦で、読売の胴上げに悔しくて涙が出ていた時
星野さんの「巨人ファンの皆様!優勝おめでとう!」の言葉が
余計に悔しく思えて泣きました。
翌97年また一度だけお近くに行けるチャンスがありました。
「ナゴヤドームボールボーイ」
バイトの関連で1試合だけ、ベンチの横でお仕事させていただきました。
ヤクルト戦でした。
先発の小池拓一投手に対して
「当ててもいいから内角投げんか!ボケ!」
と激しく何度も叱咤しておられた声は今でも耳に残っています。
試合中、小池投手がエラーをした際、、、
ベンチから「ゴン!!!!」とものすごい音が聞こえました。
怖くて振り向けませんでしたが
星野さんの生ベンチ蹴りの音を聞けた数少ないドラゴンズファンであるのだと思うと
少し自慢に思えてきました。
そして2000年まで監督を務められて、退任
またドラゴンズがドラゴンズじゃなくなるような寂しさ
きっとまたドラゴンズに戻ってきてくださる
そう信じていた矢先の
阪神監督就任のニュース。
ショックすぎてショックすぎて、、どう考えたらいいかわかりませんでした。
星野さんに裏切られたのか・・・?
なんでだ・・・。
あの喪失感、失望感。
あの頃から少しの間、ドラゴンズの応援から遠ざかってしまいました。
いつか、きっといつか
ドラゴンズの監督をしてください・・・そう心の片隅では思っていました。
昨シーズンナゴヤドームでのオールスターではお元気な姿で
「ドラゴンズを応援してやってください!」
とおっしゃってましたね。
やっぱり星野さんもドラゴンズが好きなんだ
そう思ってました。
年末の久野誠アナウンサーの番組出演では
今のドラゴンズについてもっと語って欲しかった・・・。
今朝、ツイッターで星野さんの訃報を聞いてびっくりしました。
星野さんあての手紙をブログに書いてみました。
星野仙一様
ありがとうございました。
心の中では「中日ドラゴンズの星野仙一」は生き続けています。
ご冥福をお祈りします。
本当に本当に、ありがとうございました。
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